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佐々木小次郎

3月 24, 2021 • admin

剣聖宮本武蔵との対決「巌流島の決戦」で有名な巌流佐々木小次郎だが、彼の生涯については数多くの謎に包まれている。そもそも、彼の実在を疑う向きもある。世に伝わってきた凡その見解としては、戦国期末から江戸時代初めの剣豪だと見られている。出自も、越前国浄教寺村出身説、豊前国田川郡出身説がある。富田勢源に中条流を学んだ。10代になると諸国で武者修行し、16歳で秘剣「燕返し」を体得した。中条流では、主に一尺五寸ぐらいの小太刀を用いるが、長身だったといわれる佐々木小次郎は師匠勢源より三尺余りの大太刀を用いた修練を命ぜられた。佐々木小次郎の愛刀といえば、身の丈程もある長剣通称「物干し竿」といわれた備前長船長光である。この長剣を背負い、肩越しに抜刀し、下段からせり上がるように振り抜く。飛ぶ燕でさえその切先から逃れられなかったことから「燕返し」名付けられたといわれている。

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名匠・正宗

2月 4, 2021 • admin

少しでも日本刀に興味のある人なら、「正宗」の名を知らない者はいないのではないだろうか。鎌倉時代末期に相模国(神奈川県)鎌倉で活躍した刀匠といわれるが、その経歴には謎が多い。

正宗は、在命中はそれほどの評価を得ておらず、死後、豊臣秀吉によってその名が広まり、諸大名がこぞって正宗を求めた。あまりの人気に正宗の数が足りなくなり、各地で偽物が作られたといわれている。明治時代には、武将に与える恩賞に困った秀吉が、刀剣の鑑定家・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と共謀して作り上げた虚構のブランドであり、正宗は実在しなかったという説がささやかれたこともある。 名匠といわれるほどの人物には逸話が多いものだ。

正宗にまつわる逸話をもう一つ紹介しよう。 正宗の父も刀匠だった。あるとき父は、京都に修業の旅に出たが、その留守中に火事を出し、家を失う。 正宗と母は、父を捜しに京都に向かうが、その途中、母も死んでしまった。残されたのは、唯一の手がかりである、父の残した日本刀だけ。 父を捜し出せぬまま、正宗は父と同じ刀匠の道に進むこととなった。ある日、師匠・行光が、正宗が大切にしている日本刀にふと目をやると、なんとそれは、自分が鍛えたものであった。父と子は、こうして再会したという。また、このとき父は、京都で再婚していたのだが、義母となる相手の女は突然現れた前妻の子の正宗に家の財産をとられるのではと心配し、正宗につらくあたった。しかし正宗は、義母が病気で倒れたときには水垢離(みずごり)をして快癒を祈り、暴徒に襲われた義母をかばって背中を斬られたこともあったといわれている。これらの逸話のほとんどは、後世の人聞が作った作り話とする説もあるが、たとえそうであっても、伝え聞く逸話は正宗を讃える話ばかり。努力と親孝行の人であったのは間違いないのではないだろうか。

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茎(なかご)の形

1月 4, 2021 • admin

刀剣の各部分の名称や役割を知ることで、日本刀を深く理解することができます。刀剣のうち柄に収まる部分を茎(なかご)と呼んでおり、目釘穴を使って取り外しをするために目にする人も多いかもしれません。ここに刀工の銘が刻まれており、やすりがけがされています。茎全体の仕立て方、茎尻の形状、銘を切っている位置はそれぞれ異なっています。作者や流派によってなど、理由はさまざまです。茎の形もさまざまな種類があります。まず、一般的な茎は「普通形」と言われています。一般的に知られている茎は、この形をしています。次に、雉子股形(きじももがた)と呼ばれる形です。平安時代から鎌倉時代にかけて、太刀に見られる形状です。その名前の通り、鳥の股の形に似ていることから名付けられています。なぜこのような形になったかというと、もともと衛府太刀拵の柄は、表と裏を俵鋲で留めていました。その部分を削って形を作ったために、このような特殊な形になったと言われています。次に、振袖形(ふりそでがた)です。茎の元先の幅に差がなく、真ん中の辺りでわずかに曲がっています。この形が振り袖を連想させることからの呼称です。鎌倉時代の短刀によく見られる形状と言われています。次に舟底形(ふなぞこがた)と言われるものです。茎の刃方のラインがゆったりとした曲線を描いており、茎先が細くなっています。舟底の形に似ていることからきています。相州系の刀工に多く見られると言われている茎です。最後は、鰱腹形(たなごばらがた)です。形としては、茎の下の部分が細くなっており、魚のタナゴに似ていることから呼ばれています。村正や、その一門に見られる特色がある茎と言われているそうです。

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五箇伝について

12月 4, 2020 • admin

日本刀はその作られた地域によって、「大和伝」「山城伝」「備前伝」「相州伝」「美濃伝」に分類されます。
大和伝は平安時代前期以降、大和地方(奈良県)で発生した刀匠集団による伝法。寺院のお抱え鍛冶として門前に居を構え、僧兵(そうへい…武装した僧侶)の武器として、実用本位の日本刀を作製した。無銘のものが多いのが特徴。
姿は反りの中心が刀身の中央にある「輪反り(わぞり)」が雄大につき、鏑が高く、鏑幅が広い。地肌(じはだ)は柾目(まさめ)肌を交える。刃文は直刃(すぐは)を基調とし、刃縁(はぶち)に金筋、砂流しなどさまざまな働きが現れる。帽子は掃き掛けて浅く返るか、焼き詰めとなることが多い。

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刀と馬は並みが良し

11月 4, 2020 • admin

戦国の世の武士たちは自分好みの刀剣を振りかざしていたというようなイメージがありますが、実際にはこのような戦いの場で高価な刀を使うことは稀であったようです。刀に限らず高価な馬なども戦場で怪我をするのではないかなどといった心配から、戦いに集中できなくなってしまう兵士たちもいたようです。刀も同じように高価な刀を手に入れてしまうと、どうしても傷をつけたくないという思いから、刀を抜いて試し切りするようなことも控えてしまうようになり、良い刀を手にすると剣の腕が鈍るなどとも言われていたそうです。さらには人々が集まる場所などで多くの武士たちが刀を一箇所にまとめて置くような場合、お互いにどれが自分の刀であったか見分けがつかなくなり、他人の物と取り違えてしまうというようなことも少なくなかったようです。専門家たちの述べるところによりますと名刀などと呼ばれる日本刀は、実際に戦場などでは使われなかったのではないかと考えられているようです。

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独眼竜と不動明王の剣

10月 6, 2020 • admin
不動明を生涯、崇めた伊達政宗の刀として知られる「大倶利伽羅(おおくりから)」は、サンスクリット語で竜王の名を表すのだそうです。 「倶利伽羅剣」は、不動明王が手にした剣であり、この剣をもって竜王を倒したと伝えられているそうです。「独眼竜」の名で知られる伊達政宗は、幼い頃病によって片目を失ってしまったことにより、自分自身が醜い容姿をしていることを恥じながら暮らしていたそうです。ある日、お寺の不動明王を目にした時に、お寺の住職から不動明王は慈悲深い仏様であることを知らされます。不動明王は、仏の道に背く悪人を懲らしめるために邪悪な心を憎むように、あのようなしかめっ面をしているのだというような説法を聞いたのだそうです。 不正義なものには厳しく接し、 善人には優しく接する不動明王のようにありたいものだと、幼い頃の伊達政宗は、自分の容姿の醜さを慰めるように、不動明王の生き方を自分自身に重ねていたというような逸話が残されているようです。天下統一を成し遂げるために歴史上にその存在感を放った伊達政宗が手にしていた日本刀には、不動明王が手にしていた剣の名である「倶利伽羅」が刻まれています。幼い頃の志が、正宗の剣として世の中の不正義を成敗していたのかもしれません。現代においてもその 英雄ぶりが伝えられる伊達政宗に、最もふさわしい名前の件であるかもしれませんね。幼い頃に抱いた不動明王への憧れと志を持った剣として、ファンの間では人気が高いようです。皆さんにも、幼い頃の志を反映した愛着のあるものはありますか。
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刀剣の反りの具合

8月 18, 2020 • admin

古墳時代などにおいては、直刀などが古墳などから出土しているようです。このような発見から、当時に日本で作られていた主な刀剣は直刀であったのではないかと考えられています。時代とともに、直刀に「反り」が入ったような「太刀」が出現んしてきます。この「反り」の角度などによって、また様々な呼び名がつけられているようです。刀剣のスタイルの変化は、時代における人々のニーズに大きく反映されているようです。刀剣の形の変化を読み解くことで、その時代の人々の暮らしや、暮らしぶりを垣間見るようなこともあるようです。「先反り(さきぞり)」「腰反り」「輪反り」などが、その反りの角田などからついた名称であるようです。刀工が鍛錬を繰り返す中でも、最終的に完成される刀剣の刀身の形を思い浮かべることが出来ることが、刀づくりの修行において重要な工程ともなるようです。反りには、流行もあるようですが、刀工の個性やセンスも表現されているようです。

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加賀国の有平

8月 6, 2020 • admin

有平という日本刀の刀工は、江戸時代前期の加賀国の人だそうです。初代兼若の次男だそうです。在吉というのは、江戸時代前期の山城国の人だそうです。堀川國廣の門人だそうです。國廣が京堀川に定住する以前からの古参の門人なのでそうです。國廣の諸国流浪に随伴した可能性もあるそうです。家重というのは、江戸時代初期の加賀国の人だそうです。陀羅尼派。江戸時代前期の家重は、寛文元年に伊豫大掾を受領したそうです。勝國と改銘したそうです。家忠というのは、江戸時代前期の加賀国の人だそうです。陀羅尼家重の叔父だそうです。加賀国随一の名工と呼ばれているそうです。江戸時代後期、加賀国の家忠は、須崎四郎兵衛家平の子供だそうです。兄吉兵衛國平の養子となったそうですが、國平に実子が生まれて、家忠の名跡を継承して独立したそうです。一法というのは、江戸時代前期の山城国の人だそうです。日置市之丞。対馬守常光の父だそうです。本国は近江蒲生郡石堂村の人だそうです。江戸に出て、華麗な丁子乱刃を焼き、江戸石堂と呼ばれているそうです。一峯というのは、江戸時代前期の近江国の人だそうです。近江石堂。一峯初代だそうです。遺作は稀有だそうです。一峯二代の一峯は、一峯初代の子供だそうです。氏繁というのは、江戸時代後期の播磨国の人だそうです。手柄山氏繁の初代だそです。手柄山正繁二代の父だそうです。晩年は丹霞と号したそうです。手柄山氏繁の二代は手柄山正繁と改名したそうです。氏宣は、江戸時代中期の尾張国の人だそうです。岩捲一門だそうです。本国は美濃国だそうです。尾張に出て、飛騨守氏房の門人となるそうです。「尾州住氏宣」大湾れ刃を得意としたそうです。

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刀の銘

7月 19, 2020 • admin

平安末期から、茎に銘を刻することは一般化したと言われています。太刀銘は佩表(はきおもて)に刻まれて、刀銘は差表に刻まれることが基本と言われています。ただし、肥前の刀や江戸後期にある刀には、太刀銘を刻むということもあったそうです。作者によって銘の形、太さなどは異なっているため、この銘を子細に見ることで正真性を確かめることもできると言われています。銘にはさまざまな種類があり、大きく分けて10種類あると言われています。1つは作者銘で、刀工の名前を刻したものです。次に紀年銘で、製作をした年記を記したものです。一般的には作者銘の裏側に入れるために、裏銘と言われることもあるそうです。年号に加えて、正確な月日を刻する場合もあるそうですが、多くの場合には焼入れに適した旧暦の二月日、もしくは八月日とされているそうです。所持名はそのまま所持者の名前を表したもので、注文銘は制作依頼者の情報になります。受領名(ずりょうめい)は、江戸時代に刀工が国司に任官されたときに、例えば越前守などと入れたものを指します。名目上では官位になりますが、手続きにおいては正式なものとされていたそうです。折返し銘は、大磨上げを行ったときに、銘を残そうと工夫をして裏面に折り返して嵌入したものを言います。額銘は、大磨上げを行ったとき、銘の部分を短冊形に切り取って、磨上げた茎にはめ込んだものを言います。その形から短冊銘と呼ぶこともあるそうです。朱銘(しゅめい)は、朱漆で書かれた銘を言います。刀の由来や伝承にちなんだものや、はじめから無銘のものに鑑定銘を記したものもあるそうです。他にも金象嵌銘という金象嵌したものや、試しに切ったもの結果を印試し銘などがあります。

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財の奪い合いと武器

6月 6, 2020 • admin

縄文時代の遺跡などから、石剣や石刀が発見されていますが、人々の暮らしと道具は、とても密接な関係性を築いています。このような道具が武器となるのは、一体いつ頃からであったのでしょうか。一説によると、弥生時代の頃からだと考えられているようです。弥生時代には、稲作が広まったと同時に、大陸から様々な武器が伝わったのではないかなどとも考えられているようです。稲作などによって、農作物が安定するとともに、人々に食物が財として蓄えられることになり、その奪い合いが始まったのではないかなどとも考えられているようです。現代においても、相続や財産の場合などは耳にすることがありますが、当時でもそのような財産の奪い合いによって、武器や様々な道具が生み出されたのではないかなどと考えられているようです。大陸などから伝わった武器などには青銅の鉄などが使用されていたものが出土しているようです。当時の遺跡からは、様々な刀剣などの鋳型も発見されたりもしているようです。全てのこのような武器が、戦いの場で使用されていたのではなく、一部の物は、儀式や祭事などに用いられていたのではないかなどとも考えられているようです。現代において私たちが日本刀などとして観賞をしたりコレクションしている日本刀が世の中に出現するのは、まだまだ先の時代となりそうです。

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