Skip to Content

Uncategorized

日本刀の聖地

October 18, 2018 • admin

明治時代、日本刀の代表的な産地を5カ所を定めた「五ケ伝」というものが作られていたとされています。この選別の基準としては、刀の持つ特徴が際立っていることや、国宝に指定されている名刀を数多く出しているといったことが挙げられているようです。どのような土地が挙げられているのか、見ていきましょう。まず「大和伝」でしょう。大和とは現在の奈良県のことであり、朝廷に圧力をかける寺社に刀剣を納めたということもあり、実用的な目的にしか取れないような無骨な刀が数多く出ているとされているようです。「美濃伝」は、大和の刀剣製作者が現在の岐阜県に移住して始めた刀製作の技法。実用的な鋭い切れ味を持ち、武士に高く評価されたとされており、現在も刃物の有名な土地と言われているようです。「備前伝」は、現在の岡山県東部を指しており、この土地は良質な砂鉄が採れるとされているため、古刀期に「刀剣の産出量日本一」を誇ったと言われているようです。長船派をはじめとする多数の刀工派を輩出したとされることでも有名なのではないでしょうか。「山城伝」は、現在の京都府とされており、この土地は、朝廷に多くの刀剣を納めたということもあり、不純物の少ないきらびやかで美しい刀身が特徴とされているようです。実用的なものよりも芸術品としての傾向が強いとされるのも特徴的ではないでしょうか。「相州伝」は、鎌倉時代末期、各地の刀鍛冶が現在の神奈川県に移住して始めたとされる刀製作の技法と言われているようです。刀身は薄い割りに、強度の高い刀をつくり出し、各地の刀剣製作に大きな影響を与えたと言われているようです。この「五ヶ伝」と呼ばれる土地からは、数多くの名工や名刀が生まれたとされ、その技法や魂は現在にも受け継がれているとされています。

Categories: Uncategorized

日本刀を愛した作家・山本兼一

August 8, 2018 • admin

2014年2月。日本刀に造詣が深かった作家・山本兼一氏がこの世を去りました。
その少し前、2004年に第日国松本清張賞を受賞し、映画化もされた『火天の城』ですが、その執筆を経て山本兼一氏は「職人がおもしろい。刀鍛冶のことを書きたい」と思ったそうです。
そして『いっしん虎徹』が生まれました。

「刀の基本的な作り方は時代を越えて伝わっている。けれど鉄は時代によってまるで違う。虎徹は古鉄卸しの技法が得意で古い鉄を再生させていた刀工。虎微を選んだのは、虎徹であれば古い鉄から江戸期の新しい鉄まで鉄の日本史が書けるから。虎徹は刀工としては出来に差があるのが難だけど、すばらしい虎徹はとても品格がある」と山本氏は語っています。

応永以降に刀なしと言った江戸期の刀工・水心子の言葉を証明するかのように、 山本氏は古い鉄を愛していました。

Categories: Uncategorized

太刀・大太刀

July 8, 2018 • admin

ここでは、重要文化財などに指定されている刀を紹介します。

・ソハヤノツルキ
無銘ではあるが、三池典太光世による太刀だと言われています。
鎬造りで、庵棟は低く、中反りは高く、身幅は広く、猪首鋒です。
家康がもっとも好んだ刀で、死ぬ間際まで柄を握っていた家康の遺愛刀です。
重要文化財に指定されています。
久能山東照宮に所蔵されています。

・数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)
青江恒次による太刀です。
鍛えは、小板目で、乱れ映り立ち、地沸つく。
日蓮聖人遺愛刀で、聖人が初めて身延山に登るときに、山中には盗賊が多いので、護身用に信者から寄進された刀です。
聖人はこの刀に数珠をかけ、登山したと言われています。
重要文化財に指定されており、天下五剣のなかの一つです。
本興寺に所蔵されています。
日蓮上人が所持していた刀で身延山久遠寺に保管されていましたが、その後本興寺に寄進されました。

・鳴狐(なきぎつね)
粟田口国吉による太刀です。
国吉の作には太刀は少なく、短刀が多く見られます。
鳴狐は、短刀にしては寸法が延び、反りもあり、小太刀のようであるが造り込みが平造りであり、茎の先まで重ねが厚いこともあり、どちらにも属さないと言われています。
そして、太刀と言うよりも打刀とすべきだとの意見もあります
重要文化財に指定されています。
東京国立博物館に所蔵されています。

・山伏国広(やまぶしくにひろ)
堀川国広による太刀です。
本刀は、国広が山伏時代に作ったため、こう呼ばれています。
鎬造りで庵棟、先端は中鋒で、鍛えは板目肌流れごころに地沸つく。
刃文は小のたれに互の目(ぐのめ)で鋒は尖り、飛焼交じり、匂口しまりごころで、やや荒い沸つき、匂やや深く、匂口冴える。
重要文化財に指定されています。
現在は、個人が所蔵しています。

Categories: Uncategorized

日本刀に向いている柔らかい鉄

June 7, 2018 • admin

「鉄は熱いうちに打て」という、ことわざがあります。このことわざは、人と鉄の関係性がどれだけ深いかを表しています。炉の中で熱された鉄の塊は、鉄床(かなとこ)の上で金槌に打たれることによってどんどんと形が変わっていきます。刀工ともなれば、小さな金槌だけで鉄の形を自由自在に変化させることができます。

「鉄は熱いうちに打て」とは、一度冷えてしまえば堅くなり、どうすることもできなくなるという意味です。このことわざから、鉄は堅いというイメージを持つ人が多いと思います。しかし、日本刀の鉄は堅くないのです。特に名刀と呼ばれる日本刀になれば、柔らかいと感じこともありとても不思議です。その証拠に日本刀の表面は紙や絹でも疵がつくことがあります。また一度ついた疵は、砥石によって研がなければ消えないことがほとんどです。そのため、一本の日本刀を疵つけず、長年手入れをすることは大変難しい事です。

鉄が柔らかいとは、一体どういうことなのでしょうか。世の中には、冶金学という鉱石から金属を取り出し、精製する技術を研究する学問があります。その冶金学的に考えると、まず鉄と炭素とが化合して鋼となります。そのときの炭素の含有量が基準よりも多ければ堅くなり、少なければ柔らかくなります。その炭素の含有量を変えることによって、包丁鉄と呼ばれるとても柔らかい鉄や釜・鍋を作る堅い鋳鉄などに分けられます。そのなかでは日本刀に用いられる鉄は、柔らかい方に分類されることが多いです。

鋼が柔らかいというのは矛盾しているように感じますが、日本刀のように物を切るために作られるときは、その柔らかさが重要なのです。さまざまな物には、硬い場所と軟らかい場所が入り混じって存在します。その硬軟を難なく切るためには、柔らかくないと自在に切れないのだそうです。

 

Categories: Uncategorized

作者を当てる「入札鑑定」

March 21, 2018 • admin

本格的な武家社会となった鎌倉時代には、武器としての日本刀の需要が高まると同時に、その芸術的価値が浸透し、日本刀を鑑賞する習慣が発達した。室町時代に は、刀剣の鑑定を職業とする者が現れたり、入札鑑定が行われたりするようになった。 「入札鑑定」とは、作者のサインともいえる「銘」を隠してその刀剣の作者を当てるゲームのようなもので、武将が集まったときに、余興として楽しまれていた。 「全体の姿を見て時代の見当をつける」「鉄の色や質、地肌を見て製作地方、国を考える」「刃文と帽子によって流派、系統、個人名を考える」といったポイントを総合し、作者を推察するのだが、この入札鑑定は、今日でも、日本刀の勉強会の一環と して行われている。

Categories: Uncategorized

肥前忠広

February 21, 2018 • admin

「人斬り以蔵」の通称で恐れられた岡田以蔵。土佐勤王党(とさきんのうとう)に属し、その指揮を執る武市瑞山(たけちずいざん)に命じられるまま、人斬りを繰り返した。自分を貧困から救ってくれた武市への恩返しのつもりだったのか、武市の意に沿わぬ者たちを次々と襲う。最後は捕らえられ、晒し首にされた。武市への忠義 に生きた短い人生だった。 以蔵の人生に影響を与えた人物がもう一人いる。その名は坂本龍馬(さかもとりょうま)。暗闇で生きる以蔵に照らされた一筋の光明であり、以蔵にとって心を許せるたった一人の人物だった。 武市の過激なやり方を許せなかった龍馬は、そのもとで働く以蔵を救い出すために、勝海舟(かつかいしゅう)の護衛役を任命する。人を斬っていた以蔵が人の命を守る任務を与えられたのだ。しかし、武市への恩を忘れることができなかったのか、やがて以蔵は海舟の元を去るものの、一度背いた武市の元に戻ることもできない。そして再び堕ち ていった。 そんな以蔵の愛刀「肥前忠広(ひぜんただひろ)」は、龍馬から譲り受けたものだった。とても大切にしていたようだったが、最後に捕らえられたときには脇差一本しか所持しておらず、肥前忠広は手放したあとだった。 武市を失い、龍馬から譲り受けた愛刀も失った岡田以蔵。 享年二十七。

Categories: Uncategorized

妖刀の生みの親・村正

January 9, 2018 • admin

伊勢(いせ)国(三重県)で活躍した刀匠。「村正(むらまさ)」を名乗ったのは一人ではなく、室町時代から江戸時代初期までの間に、三代は続いていたとみられる。徳川家を崇る妖万村正の逸話は有名だ。 村正は、優れた斬れ味のみを追求し、実用的な作刀を得意とした。この村正と、 前項の正宗とにまつわるエピソードを紹介しよう。 正宗は自分の鍛えた刀と村正の鍛えた日本刀を上流に刃を向けて小川に突き立てた。そこに、上流から流れてくる一枚の木の葉。木の葉は、正宗の刀を避けるように流れ、村正の刀に吸い寄せられていく。そして、村正の刀の刃に触れ、葉は真っ二つに斬り裂かれた。正宗は、「せせらぎの流れに漂う葉を、触れただけで斬り裂いてしまう斬れ味は見事だが、それだけでは真の名刀とはいえない。刀はただ斬れればよいのではない。悪を切らずに遠ざけるのが名刀というものなのだ。刀を鍛えることは魂を吹き込むこと。斬れ味のみにこだわると、それは邪気となって刀に宿る。そして、その刀は斬らなくてもいいものまで斬り裂き、血を求める妖刀になってしまうのだ」 と、村正を諭したが、村正は、「斬れることこそ刀の真髄」と言い残し、正宗のもとを去った。 二人の名匠の考えがうかがえるエピソードだが、この逸話には疑いがある。

そもそも二人の活躍した時代は重なっておらず、この逸話は後世に創作されたものらしい。しかし、村正と正宗、二人の刀匠の特徴をよく表した逸話である。

Categories: Uncategorized

「刀身の名称」

December 18, 2017 • admin

日本刀には各部分に様々な名前がついている。鑑賞する上で欠かせない基礎知識となる。主な名称と部位を解説していく。

 ・鋒(きっさき)

 ・帽子(ぼうし)

 ・小鎬(こしのぎ) 鋒の部分に走る鎬

 ・横手

 ・三つ角(みつかど) 鎬、小鎬、横手の3つの線が交わる部分

 ・物打(ものうち) 物を切るための力点となる部分

 ・地(じ) 鎬と刃の間で焼き入れされていない部分

 ・刃文(はもん) 焼き入れで刃と地の境に出来る模様

 ・刃先(はさき)

 ・刃縁(はぶち)

 ・身幅(みはば) 棟から刃先までの幅

 ・刃区(はまち)

 ・鑢目(やすりめ) 刀身が柄から抜けない様にするためにつけられる。

 ・目釘穴(めくぎあな)刀身を柄に固定するために乾燥した竹を差すための穴

 ・刃長(じんちょう) 鋒から棟区までの長さ

 ・鎬地(しのぎじ) 鎬と棟の間の部分

 ・鎬(しのぎ) 刀身の中央部分を通っている稜線

 ・棟(むね) 刀の背となる部分

 ・棟区(むねまち)

 ・茎(なかご) 柄の中に納められる部分

 ・反り(そり) 刀の曲線

 ・茎尻(なかごじり)

Categories: Uncategorized

「日本刀のつくり方」

November 18, 2017 • admin

世界一の切れ味を誇るともいわれる日本刀。その製造には代々受け継がれてきた、刀匠太刀の技術がある。日本刀の製造工程について解説する。

 ●工程その一 水へし・小割り・・・原材料となる砂鉄で作った玉鋼(たまがね)を熱し、厚さ5mm程度に打ち延ばす。これを2~2.5cm四方に小さく割っていき、皮鉄(かわがね)用の硬い鋼と心鉄(しんがね)用の柔らかい鋼とに分ける。

 ●工程その二 積沸し・・・より分けた皮鉄用と心鉄用の玉鋼を、それぞれ別のテコ台に積み重ね炉で約1300度で熱する。素材が沸かされ(熱せられ)一つの塊となる。

 ●工程その三 鍛錬・皮鉄造り・・・素材を平たく打ち延ばし、切れ目を入れふたつ折りにして重ね、再び熱し打ち直す。この鍛錬という作業を15回ほど繰り返し、心鉄をくるむ強靱な皮鉄がつくられる。

 ●工程その四 心鉄造り・組み合わせ・・・刀の芯となる柔らかい心鉄を平らに打ち整え、U字形にした皮鉄でくるむ。これを「組み合わせ」という。柔軟性と強靱さを兼ね備えるため、この工程は欠かせないのだ。

 ●工程その五 素延べ・火造り・・・組み合わせを終えた刀身を再び熱し、打ち延ばして行くことを素延べという。完成に近い長さになったところで鋒を打ちだした後、鉋や鑢、砥石などを使って表面を仕上げることを火造りという。

 ●工程その六 土置き・焼き入れ・・・粘土や炭、砥石の粉などを混ぜた焼刃土を刃の部分に塗っていく。これを土置きといい、刀身を約800度で熱した後、水で急冷する作業を焼き入れという。この工程で刃文の形や文様がつくられる。

 ●工程その七 仕上げ・銘切り・・・焼き入れを終え、反りや曲がりなどを整え荒研ぎを行い、細かな傷や割れがないかを確認する。茎の部分に目釘孔を空け、最後に作者の銘を茎に切って日本刀が完成する。

Categories: Uncategorized

刀の値段はどうして決まるか

October 11, 2017 • admin

アンケートにある”金融相場”というのがこの過熱化している交換会を指しているのである。交換会の仕組みを紹介したいが、その前に、現在の刀の価値はどうして決められるのかということについて説明をしておかねばならない。刀は古刀、新刀、新々刀と一応の時代的な区切りがある。明治の廃刀令からさかのぼり、幕末の安永年間までにつくられたものを新々刀、安永以前から慶長時代までのものを新刀、それ以前のものを古刀という。そしてこの三つの時代にそれぞれ、優れた刀をつくった刀工を最上作、上々作、上作などとランクをつけている。すべて合わせて千人以上の刀工がいわば上場されている。このランクは、その時代の権力者によって決められた場合もあり、本阿弥家という代々刀剣の鑑定を行って位置づけられられた場合もある。江戸時代の番付によると、おおむね関西の刀工が格上げになっており、平和な時代にあっては刀は実用というより装飾性が強くなり、関西刀工の派手な作り方が人気を得たためであろう。しかし江戸時代につけられたこの格付けはほぼ今日まで大きな変動はない。値段もその位列にしたがって決まっていくのである。あくまでも昔からの位列が中心となる。ところで無銘の刀や位列に番付に掲載されていない刀工の場合は、つくられた時代、場所、流派などを総合して決定する。以上が刀の価格の一応の基準である。この基準をもとに物価の上昇、他の古美術品などとの釣り合いなどを勘案しながら現在価格というものがはじきだされるのである。刀剣書には価格番付というものがついている。これに記載された価格は現実に即していない”花相場”といおうか、高く付けられているから、刀屋がこれを利用し、初心の客に高値で売り付ける―と非難する人もいる。しかし、この価格は位列どおりに高低が付けられている。全体に高値になっていたとしても下位の刀工を高く、上位の刀工を安く付けてはいない。したがって初心者にとっても刀工価格の一つの目安になることは間違いない。刀の値段というものは子のようにして決められているということが理解できたと思う。

 

Categories: Uncategorized