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日本刀の歴史

12月 6, 2018 • admin

日本刀の歴史は、大陸から来た直刀から始まります。

直刀から反りのある湾刀(わんとう)へ移行したのは平安中期以降と考えられているそうです。一般的に10世紀前半の平将門と藤原純友の乱(承平・天慶の乱)以降とみられており、それ以前のものは上古刀と呼ばれ大陸より日本にもたらされた大陸の様式で作られた直刀です。

日本刀はその時代の戦闘様式の変遷とともに大きく変化してきました。その時代の合戦があるたびに、実用的効果をあげなくてはならなかったので、改良と工夫がなされてきたのです。

日本刀の制作は大きく分けて五カ国を中心としており、大和国、備前国、山城国、相模国、美濃国の五カ国です。この五カ国を明治以降「五ヶ伝」と呼ぶようになるのですが、それはこの五カ国を中心に名工が排出したからだそうです。

江戸時代になると新刀期になりますが、これに飽き足らず自ら学んだ伝法に他の伝法を合わせて新しい技法を編み出す人たちも各地に現れました。こういった人たちの技法は現代等にも受け継がれていっています。

上古刀というのは、反りのない直刀です。この時代の刀剣の資料は古墳から発掘されるものと奈良時代の正倉院御物の刀剣類があるそうです。

平安時代後期から、太刀、今私達が普通に見る刀が現れだしたそうです。刀剣の文化は発展してゆきますが、その後廃刀令が出されます。廃刀令から現在までの刀剣は現在刀と呼ばれるそうです。

廃刀令が出たことにより刀工達は職を失いましたが、明治時代に帝室技芸員に二名任命された人物がおり、鍛刀の技術は保護されたそうです。鍛錬技法は今日まで続いており、現代刀は特に鎌倉時代の太刀を写したものが多数鍛刀されているようです。

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剣術の流派

11月 6, 2018 • admin

剣術というと、柳生とか宮本武蔵とか佐々木小次郎が浮かびますが、江戸時代は、剣術の流派は300もあったそうです。
それらのルーツは、神道流、陰流、念流の3つに大別されるそうです。
神道流系には、のちに塚原卜伝の卜伝流の流派が生まれています。
陰流系は、今の宮崎県で移香斎が天啓を受けて開いたそうです。ここから下って、あの「柳生新陰流」が生まれました。
念流派には、伊藤一刀斎が出て「一刀流」を興しました。小野派一刀流は枝分かれしたものです。そこからまた枝分かれして溝口派、甲派、中西派、北辰派とがあります。時代劇が好きなら聞いたことがあるようなところばかりですね。
居合術や抜刀流。これらは刀身を鞘に入れた状態で相対し、どれだけ早く敵を斬っているかというワザが特徴です。
鞘から刀を抜いて、というのはなかなか難しいといいます。
そもそも鞘から刀を抜くこと自体ができないそうです。ここから練習というのが大変です。
居合術のルーツは林崎甚助という人です。親の仇をとるために、百か日参籠をして剣術修行に励んだそうです。ついに満願の日、甚助は奥義・抜刀秘術卍抜きを授けられたそうです。
居合術の奥義を会得した甚助は、みごと敵討ちを果たしたあと、諸国を武者修行しながら、居合術の弟子たちを育てたそうです。
甚助の居合術に心酔したのが加藤清正。加藤家において家臣たちに居合術を習わせたそうです。
加藤家の武士が朝鮮出兵の際、活躍したのは、この居合術のおかげと言われています。
現在も伝わる居合術・無双直伝英信流、伯耆流、関口流、田宮流、新田宮流、無楽流の流派は、林崎甚助を祖としているとのこと。
ということは「敵が刀の鍔口を切った瞬間、すでに敵を斬っている」という甚助のような人が現代にいらっしゃるということでしょうか。

 

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日本刀の聖地

10月 18, 2018 • admin

明治時代、日本刀の代表的な産地を5カ所を定めた「五ケ伝」というものが作られていたとされています。この選別の基準としては、刀の持つ特徴が際立っていることや、国宝に指定されている名刀を数多く出しているといったことが挙げられているようです。どのような土地が挙げられているのか、見ていきましょう。まず「大和伝」でしょう。大和とは現在の奈良県のことであり、朝廷に圧力をかける寺社に刀剣を納めたということもあり、実用的な目的にしか取れないような無骨な刀が数多く出ているとされているようです。「美濃伝」は、大和の刀剣製作者が現在の岐阜県に移住して始めた刀製作の技法。実用的な鋭い切れ味を持ち、武士に高く評価されたとされており、現在も刃物の有名な土地と言われているようです。「備前伝」は、現在の岡山県東部を指しており、この土地は良質な砂鉄が採れるとされているため、古刀期に「刀剣の産出量日本一」を誇ったと言われているようです。長船派をはじめとする多数の刀工派を輩出したとされることでも有名なのではないでしょうか。「山城伝」は、現在の京都府とされており、この土地は、朝廷に多くの刀剣を納めたということもあり、不純物の少ないきらびやかで美しい刀身が特徴とされているようです。実用的なものよりも芸術品としての傾向が強いとされるのも特徴的ではないでしょうか。「相州伝」は、鎌倉時代末期、各地の刀鍛冶が現在の神奈川県に移住して始めたとされる刀製作の技法と言われているようです。刀身は薄い割りに、強度の高い刀をつくり出し、各地の刀剣製作に大きな影響を与えたと言われているようです。この「五ヶ伝」と呼ばれる土地からは、数多くの名工や名刀が生まれたとされ、その技法や魂は現在にも受け継がれているとされています。

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日本刀を愛した作家・山本兼一

8月 8, 2018 • admin

2014年2月。日本刀に造詣が深かった作家・山本兼一氏がこの世を去りました。
その少し前、2004年に第日国松本清張賞を受賞し、映画化もされた『火天の城』ですが、その執筆を経て山本兼一氏は「職人がおもしろい。刀鍛冶のことを書きたい」と思ったそうです。
そして『いっしん虎徹』が生まれました。

「刀の基本的な作り方は時代を越えて伝わっている。けれど鉄は時代によってまるで違う。虎徹は古鉄卸しの技法が得意で古い鉄を再生させていた刀工。虎微を選んだのは、虎徹であれば古い鉄から江戸期の新しい鉄まで鉄の日本史が書けるから。虎徹は刀工としては出来に差があるのが難だけど、すばらしい虎徹はとても品格がある」と山本氏は語っています。

応永以降に刀なしと言った江戸期の刀工・水心子の言葉を証明するかのように、 山本氏は古い鉄を愛していました。

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太刀・大太刀

7月 8, 2018 • admin

ここでは、重要文化財などに指定されている刀を紹介します。

・ソハヤノツルキ
無銘ではあるが、三池典太光世による太刀だと言われています。
鎬造りで、庵棟は低く、中反りは高く、身幅は広く、猪首鋒です。
家康がもっとも好んだ刀で、死ぬ間際まで柄を握っていた家康の遺愛刀です。
重要文化財に指定されています。
久能山東照宮に所蔵されています。

・数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)
青江恒次による太刀です。
鍛えは、小板目で、乱れ映り立ち、地沸つく。
日蓮聖人遺愛刀で、聖人が初めて身延山に登るときに、山中には盗賊が多いので、護身用に信者から寄進された刀です。
聖人はこの刀に数珠をかけ、登山したと言われています。
重要文化財に指定されており、天下五剣のなかの一つです。
本興寺に所蔵されています。
日蓮上人が所持していた刀で身延山久遠寺に保管されていましたが、その後本興寺に寄進されました。

・鳴狐(なきぎつね)
粟田口国吉による太刀です。
国吉の作には太刀は少なく、短刀が多く見られます。
鳴狐は、短刀にしては寸法が延び、反りもあり、小太刀のようであるが造り込みが平造りであり、茎の先まで重ねが厚いこともあり、どちらにも属さないと言われています。
そして、太刀と言うよりも打刀とすべきだとの意見もあります
重要文化財に指定されています。
東京国立博物館に所蔵されています。

・山伏国広(やまぶしくにひろ)
堀川国広による太刀です。
本刀は、国広が山伏時代に作ったため、こう呼ばれています。
鎬造りで庵棟、先端は中鋒で、鍛えは板目肌流れごころに地沸つく。
刃文は小のたれに互の目(ぐのめ)で鋒は尖り、飛焼交じり、匂口しまりごころで、やや荒い沸つき、匂やや深く、匂口冴える。
重要文化財に指定されています。
現在は、個人が所蔵しています。

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日本刀に向いている柔らかい鉄

6月 7, 2018 • admin

「鉄は熱いうちに打て」という、ことわざがあります。このことわざは、人と鉄の関係性がどれだけ深いかを表しています。炉の中で熱された鉄の塊は、鉄床(かなとこ)の上で金槌に打たれることによってどんどんと形が変わっていきます。刀工ともなれば、小さな金槌だけで鉄の形を自由自在に変化させることができます。

「鉄は熱いうちに打て」とは、一度冷えてしまえば堅くなり、どうすることもできなくなるという意味です。このことわざから、鉄は堅いというイメージを持つ人が多いと思います。しかし、日本刀の鉄は堅くないのです。特に名刀と呼ばれる日本刀になれば、柔らかいと感じこともありとても不思議です。その証拠に日本刀の表面は紙や絹でも疵がつくことがあります。また一度ついた疵は、砥石によって研がなければ消えないことがほとんどです。そのため、一本の日本刀を疵つけず、長年手入れをすることは大変難しい事です。

鉄が柔らかいとは、一体どういうことなのでしょうか。世の中には、冶金学という鉱石から金属を取り出し、精製する技術を研究する学問があります。その冶金学的に考えると、まず鉄と炭素とが化合して鋼となります。そのときの炭素の含有量が基準よりも多ければ堅くなり、少なければ柔らかくなります。その炭素の含有量を変えることによって、包丁鉄と呼ばれるとても柔らかい鉄や釜・鍋を作る堅い鋳鉄などに分けられます。そのなかでは日本刀に用いられる鉄は、柔らかい方に分類されることが多いです。

鋼が柔らかいというのは矛盾しているように感じますが、日本刀のように物を切るために作られるときは、その柔らかさが重要なのです。さまざまな物には、硬い場所と軟らかい場所が入り混じって存在します。その硬軟を難なく切るためには、柔らかくないと自在に切れないのだそうです。

 

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作者を当てる「入札鑑定」

3月 21, 2018 • admin

本格的な武家社会となった鎌倉時代には、武器としての日本刀の需要が高まると同時に、その芸術的価値が浸透し、日本刀を鑑賞する習慣が発達した。室町時代に は、刀剣の鑑定を職業とする者が現れたり、入札鑑定が行われたりするようになった。 「入札鑑定」とは、作者のサインともいえる「銘」を隠してその刀剣の作者を当てるゲームのようなもので、武将が集まったときに、余興として楽しまれていた。 「全体の姿を見て時代の見当をつける」「鉄の色や質、地肌を見て製作地方、国を考える」「刃文と帽子によって流派、系統、個人名を考える」といったポイントを総合し、作者を推察するのだが、この入札鑑定は、今日でも、日本刀の勉強会の一環と して行われている。

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肥前忠広

2月 21, 2018 • admin

「人斬り以蔵」の通称で恐れられた岡田以蔵。土佐勤王党(とさきんのうとう)に属し、その指揮を執る武市瑞山(たけちずいざん)に命じられるまま、人斬りを繰り返した。自分を貧困から救ってくれた武市への恩返しのつもりだったのか、武市の意に沿わぬ者たちを次々と襲う。最後は捕らえられ、晒し首にされた。武市への忠義 に生きた短い人生だった。 以蔵の人生に影響を与えた人物がもう一人いる。その名は坂本龍馬(さかもとりょうま)。暗闇で生きる以蔵に照らされた一筋の光明であり、以蔵にとって心を許せるたった一人の人物だった。 武市の過激なやり方を許せなかった龍馬は、そのもとで働く以蔵を救い出すために、勝海舟(かつかいしゅう)の護衛役を任命する。人を斬っていた以蔵が人の命を守る任務を与えられたのだ。しかし、武市への恩を忘れることができなかったのか、やがて以蔵は海舟の元を去るものの、一度背いた武市の元に戻ることもできない。そして再び堕ち ていった。 そんな以蔵の愛刀「肥前忠広(ひぜんただひろ)」は、龍馬から譲り受けたものだった。とても大切にしていたようだったが、最後に捕らえられたときには脇差一本しか所持しておらず、肥前忠広は手放したあとだった。 武市を失い、龍馬から譲り受けた愛刀も失った岡田以蔵。 享年二十七。

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妖刀の生みの親・村正

1月 9, 2018 • admin

伊勢(いせ)国(三重県)で活躍した刀匠。「村正(むらまさ)」を名乗ったのは一人ではなく、室町時代から江戸時代初期までの間に、三代は続いていたとみられる。徳川家を崇る妖万村正の逸話は有名だ。 村正は、優れた斬れ味のみを追求し、実用的な作刀を得意とした。この村正と、 前項の正宗とにまつわるエピソードを紹介しよう。 正宗は自分の鍛えた刀と村正の鍛えた日本刀を上流に刃を向けて小川に突き立てた。そこに、上流から流れてくる一枚の木の葉。木の葉は、正宗の刀を避けるように流れ、村正の刀に吸い寄せられていく。そして、村正の刀の刃に触れ、葉は真っ二つに斬り裂かれた。正宗は、「せせらぎの流れに漂う葉を、触れただけで斬り裂いてしまう斬れ味は見事だが、それだけでは真の名刀とはいえない。刀はただ斬れればよいのではない。悪を切らずに遠ざけるのが名刀というものなのだ。刀を鍛えることは魂を吹き込むこと。斬れ味のみにこだわると、それは邪気となって刀に宿る。そして、その刀は斬らなくてもいいものまで斬り裂き、血を求める妖刀になってしまうのだ」 と、村正を諭したが、村正は、「斬れることこそ刀の真髄」と言い残し、正宗のもとを去った。 二人の名匠の考えがうかがえるエピソードだが、この逸話には疑いがある。

そもそも二人の活躍した時代は重なっておらず、この逸話は後世に創作されたものらしい。しかし、村正と正宗、二人の刀匠の特徴をよく表した逸話である。

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「刀身の名称」

12月 18, 2017 • admin

日本刀には各部分に様々な名前がついている。鑑賞する上で欠かせない基礎知識となる。主な名称と部位を解説していく。

 ・鋒(きっさき)

 ・帽子(ぼうし)

 ・小鎬(こしのぎ) 鋒の部分に走る鎬

 ・横手

 ・三つ角(みつかど) 鎬、小鎬、横手の3つの線が交わる部分

 ・物打(ものうち) 物を切るための力点となる部分

 ・地(じ) 鎬と刃の間で焼き入れされていない部分

 ・刃文(はもん) 焼き入れで刃と地の境に出来る模様

 ・刃先(はさき)

 ・刃縁(はぶち)

 ・身幅(みはば) 棟から刃先までの幅

 ・刃区(はまち)

 ・鑢目(やすりめ) 刀身が柄から抜けない様にするためにつけられる。

 ・目釘穴(めくぎあな)刀身を柄に固定するために乾燥した竹を差すための穴

 ・刃長(じんちょう) 鋒から棟区までの長さ

 ・鎬地(しのぎじ) 鎬と棟の間の部分

 ・鎬(しのぎ) 刀身の中央部分を通っている稜線

 ・棟(むね) 刀の背となる部分

 ・棟区(むねまち)

 ・茎(なかご) 柄の中に納められる部分

 ・反り(そり) 刀の曲線

 ・茎尻(なかごじり)

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