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「日本刀のつくり方」

11月 18, 2017 • admin

世界一の切れ味を誇るともいわれる日本刀。その製造には代々受け継がれてきた、刀匠太刀の技術がある。日本刀の製造工程について解説する。

 ●工程その一 水へし・小割り・・・原材料となる砂鉄で作った玉鋼(たまがね)を熱し、厚さ5mm程度に打ち延ばす。これを2~2.5cm四方に小さく割っていき、皮鉄(かわがね)用の硬い鋼と心鉄(しんがね)用の柔らかい鋼とに分ける。

 ●工程その二 積沸し・・・より分けた皮鉄用と心鉄用の玉鋼を、それぞれ別のテコ台に積み重ね炉で約1300度で熱する。素材が沸かされ(熱せられ)一つの塊となる。

 ●工程その三 鍛錬・皮鉄造り・・・素材を平たく打ち延ばし、切れ目を入れふたつ折りにして重ね、再び熱し打ち直す。この鍛錬という作業を15回ほど繰り返し、心鉄をくるむ強靱な皮鉄がつくられる。

 ●工程その四 心鉄造り・組み合わせ・・・刀の芯となる柔らかい心鉄を平らに打ち整え、U字形にした皮鉄でくるむ。これを「組み合わせ」という。柔軟性と強靱さを兼ね備えるため、この工程は欠かせないのだ。

 ●工程その五 素延べ・火造り・・・組み合わせを終えた刀身を再び熱し、打ち延ばして行くことを素延べという。完成に近い長さになったところで鋒を打ちだした後、鉋や鑢、砥石などを使って表面を仕上げることを火造りという。

 ●工程その六 土置き・焼き入れ・・・粘土や炭、砥石の粉などを混ぜた焼刃土を刃の部分に塗っていく。これを土置きといい、刀身を約800度で熱した後、水で急冷する作業を焼き入れという。この工程で刃文の形や文様がつくられる。

 ●工程その七 仕上げ・銘切り・・・焼き入れを終え、反りや曲がりなどを整え荒研ぎを行い、細かな傷や割れがないかを確認する。茎の部分に目釘孔を空け、最後に作者の銘を茎に切って日本刀が完成する。

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刀の値段はどうして決まるか

10月 11, 2017 • admin

アンケートにある”金融相場”というのがこの過熱化している交換会を指しているのである。交換会の仕組みを紹介したいが、その前に、現在の刀の価値はどうして決められるのかということについて説明をしておかねばならない。刀は古刀、新刀、新々刀と一応の時代的な区切りがある。明治の廃刀令からさかのぼり、幕末の安永年間までにつくられたものを新々刀、安永以前から慶長時代までのものを新刀、それ以前のものを古刀という。そしてこの三つの時代にそれぞれ、優れた刀をつくった刀工を最上作、上々作、上作などとランクをつけている。すべて合わせて千人以上の刀工がいわば上場されている。このランクは、その時代の権力者によって決められた場合もあり、本阿弥家という代々刀剣の鑑定を行って位置づけられられた場合もある。江戸時代の番付によると、おおむね関西の刀工が格上げになっており、平和な時代にあっては刀は実用というより装飾性が強くなり、関西刀工の派手な作り方が人気を得たためであろう。しかし江戸時代につけられたこの格付けはほぼ今日まで大きな変動はない。値段もその位列にしたがって決まっていくのである。あくまでも昔からの位列が中心となる。ところで無銘の刀や位列に番付に掲載されていない刀工の場合は、つくられた時代、場所、流派などを総合して決定する。以上が刀の価格の一応の基準である。この基準をもとに物価の上昇、他の古美術品などとの釣り合いなどを勘案しながら現在価格というものがはじきだされるのである。刀剣書には価格番付というものがついている。これに記載された価格は現実に即していない”花相場”といおうか、高く付けられているから、刀屋がこれを利用し、初心の客に高値で売り付ける―と非難する人もいる。しかし、この価格は位列どおりに高低が付けられている。全体に高値になっていたとしても下位の刀工を高く、上位の刀工を安く付けてはいない。したがって初心者にとっても刀工価格の一つの目安になることは間違いない。刀の値段というものは子のようにして決められているということが理解できたと思う。

 

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東北に伝わる謎の刀

8月 30, 2017 • admin

名刀として名高い正宗の内の一振りに「城和泉守所持」という刀があります。これは日本刀の目利きの最高権威である本阿弥光徳が入れたものである。そのため、この日本刀は、武田家の家臣であり、後に七OOO石で旗本として取り立てられた城和泉守昌茂の持ち物だったと言われている。昌茂の生涯についてはあまり知られていないが、武田家では勝頼のもとで侍大将格であったらしい。徳川家に仕えて旗本になった後は熊谷を領地としていたが、軍令違反で改易されてしまったという話があります。その後この日本刀はどういう経緯かは不明となっていました。だが東北の津軽家に伝わって、津軽正宗と呼ばれるようになり世に出ました。

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