剣術というと、柳生とか宮本武蔵とか佐々木小次郎が浮かびますが、江戸時代は、剣術の流派は300もあったそうです。
それらのルーツは、神道流、陰流、念流の3つに大別されるそうです。
神道流系には、のちに塚原卜伝の卜伝流の流派が生まれています。
陰流系は、今の宮崎県で移香斎が天啓を受けて開いたそうです。ここから下って、あの「柳生新陰流」が生まれました。
念流派には、伊藤一刀斎が出て「一刀流」を興しました。小野派一刀流は枝分かれしたものです。そこからまた枝分かれして溝口派、甲派、中西派、北辰派とがあります。時代劇が好きなら聞いたことがあるようなところばかりですね。
居合術や抜刀流。これらは刀身を鞘に入れた状態で相対し、どれだけ早く敵を斬っているかというワザが特徴です。
鞘から刀を抜いて、というのはなかなか難しいといいます。
そもそも鞘から刀を抜くこと自体ができないそうです。ここから練習というのが大変です。
居合術のルーツは林崎甚助という人です。親の仇をとるために、百か日参籠をして剣術修行に励んだそうです。ついに満願の日、甚助は奥義・抜刀秘術卍抜きを授けられたそうです。
居合術の奥義を会得した甚助は、みごと敵討ちを果たしたあと、諸国を武者修行しながら、居合術の弟子たちを育てたそうです。
甚助の居合術に心酔したのが加藤清正。加藤家において家臣たちに居合術を習わせたそうです。
加藤家の武士が朝鮮出兵の際、活躍したのは、この居合術のおかげと言われています。
現在も伝わる居合術・無双直伝英信流、伯耆流、関口流、田宮流、新田宮流、無楽流の流派は、林崎甚助を祖としているとのこと。
ということは「敵が刀の鍔口を切った瞬間、すでに敵を斬っている」という甚助のような人が現代にいらっしゃるということでしょうか。