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刀の銘

7月 19, 2020 • admin

平安末期から、茎に銘を刻することは一般化したと言われています。太刀銘は佩表(はきおもて)に刻まれて、刀銘は差表に刻まれることが基本と言われています。ただし、肥前の刀や江戸後期にある刀には、太刀銘を刻むということもあったそうです。作者によって銘の形、太さなどは異なっているため、この銘を子細に見ることで正真性を確かめることもできると言われています。銘にはさまざまな種類があり、大きく分けて10種類あると言われています。1つは作者銘で、刀工の名前を刻したものです。次に紀年銘で、製作をした年記を記したものです。一般的には作者銘の裏側に入れるために、裏銘と言われることもあるそうです。年号に加えて、正確な月日を刻する場合もあるそうですが、多くの場合には焼入れに適した旧暦の二月日、もしくは八月日とされているそうです。所持名はそのまま所持者の名前を表したもので、注文銘は制作依頼者の情報になります。受領名(ずりょうめい)は、江戸時代に刀工が国司に任官されたときに、例えば越前守などと入れたものを指します。名目上では官位になりますが、手続きにおいては正式なものとされていたそうです。折返し銘は、大磨上げを行ったときに、銘を残そうと工夫をして裏面に折り返して嵌入したものを言います。額銘は、大磨上げを行ったとき、銘の部分を短冊形に切り取って、磨上げた茎にはめ込んだものを言います。その形から短冊銘と呼ぶこともあるそうです。朱銘(しゅめい)は、朱漆で書かれた銘を言います。刀の由来や伝承にちなんだものや、はじめから無銘のものに鑑定銘を記したものもあるそうです。他にも金象嵌銘という金象嵌したものや、試しに切ったもの結果を印試し銘などがあります。

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財の奪い合いと武器

6月 6, 2020 • admin

縄文時代の遺跡などから、石剣や石刀が発見されていますが、人々の暮らしと道具は、とても密接な関係性を築いています。このような道具が武器となるのは、一体いつ頃からであったのでしょうか。一説によると、弥生時代の頃からだと考えられているようです。弥生時代には、稲作が広まったと同時に、大陸から様々な武器が伝わったのではないかなどとも考えられているようです。稲作などによって、農作物が安定するとともに、人々に食物が財として蓄えられることになり、その奪い合いが始まったのではないかなどとも考えられているようです。現代においても、相続や財産の場合などは耳にすることがありますが、当時でもそのような財産の奪い合いによって、武器や様々な道具が生み出されたのではないかなどと考えられているようです。大陸などから伝わった武器などには青銅の鉄などが使用されていたものが出土しているようです。当時の遺跡からは、様々な刀剣などの鋳型も発見されたりもしているようです。全てのこのような武器が、戦いの場で使用されていたのではなく、一部の物は、儀式や祭事などに用いられていたのではないかなどとも考えられているようです。現代において私たちが日本刀などとして観賞をしたりコレクションしている日本刀が世の中に出現するのは、まだまだ先の時代となりそうです。

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備前国、相模国の刀工

5月 6, 2020 • admin

刀工と呼ばれる刀の作り手が現れたのは、平安時代の末期から、鎌倉時代の初期にかけてと言われています。作者を明確にできるようになった存銘作が見られるようになったのも、この時期からです。備前国には包平(かねひら)、正恒(まさつね)、友成(ともなり)、山城国には三条宗近、伯耆国では安綱などの有名な刀工が多く輩出されました。これらの人々は、日本刀工の系譜の始祖となったと言われています。ここから門人や子孫が他国にも移住するようになり、刀工集団として大きなものとして発展していきました。鎌倉時代に入ると武士の勢力が拡大しており、争いも耐えませんでした。自然と刀剣の需要が高まってきて、刀工たちもさまざまな工夫をして要求に応えてきました。当代には多くの名工が出現したために、刀工の間に自然と流派が定まってきました。作品は太刀だけではなく、薙刀や短刀も作られるようになったそうです。茎には作者の銘だけでなく、国名や居住地名、紀年銘を刻むことも多くなっていったと言われています。鎌倉時代の刀工は、有名なところから正宗を頂点とする相模鍛冶、正恒と友成を代表とする備前鍛冶が大きな二本柱とも言われています。相模国は新藤五国光、行光などの名工が世に出ましたが、反映の期間は非常に短いと言われています。肥前国は長船、福岡、吉井、和気など幅広い範囲で活動していました。特に福岡と長船の地では大きく活躍しており、平安時代の後期から室町時代に至るまでのおよそ数百年、刀剣の製作を続けてきたと言われています。これは備前国の北部で良質の砂鉄が採掘できること、吉川沿いでは炭や水を運ぶための交通が使いやすかったという好条件が揃っていたためとも言われています。

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日本刀の銘の説明と種類について

3月 19, 2020 • admin
所持銘というのは、所持者の名前を刻したものだそうです。殆どが刀工によって切られるそうです。注文銘というのは、製作の依頼者の情報を刻したものだそうです。刀工が自分自身の銘と同時に切り施すそうです。折返し銘というのは、大磨り上げの際に、銘を残すべく、その部分を裏面に折り返してはめ込んだものだそうです。額銘というのは、大磨り上げの際に、銘の部分を短冊形に切り取って、磨き上げた茎にはめ込んだものだそうです。朱銘というのは、朱漆で書かれた銘のことだそうです。刀の由来や伝承に因んだ号銘や、無銘刀に鑑定家が極めた銘を朱漆で書き入れたものだそうです。金象嵌銘というのは、金象嵌で記した銘のことだそうです。桃山時代以降、鑑定の職にあった本阿弥家が磨上げて無銘になった刀に鑑定銘を金象嵌銘を施したものが一般的だそうです。試し銘、裁断銘というのは、刀の切れ味を試して、その結果を金象嵌銘や切付銘で記録したものだそうです。彫銘というのは、銘文はタガネを連続的に切り込むことによって施すために、銘を切るとも表現するのだそうです。例外的には、江戸時代初期の繁慶一門のように彫鏨を用いて銘を彫り込んだものを彫銘というそうです。無銘というのは、銘文のないものをいうそうです。製作当初からない場合のものを生ぶ無銘というそうです。大磨上無銘というのは、大磨り上げによって、作者の銘が失われてしまったものだそうです。南北朝時代以前の長大な太刀を、戦国時代の以前の長大な太刀を、戦国時代に徒歩戦に用いるために、打刀に仕立て直したものが多いそうです。切付銘というのは、刀剣の作者ではなくて、のちの所有者などが切りつけた銘のことだそうです。
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日本刀の鑢目と銘などの種類について

2月 19, 2020 • admin
化粧鑢というのは、江戸時代以降に、茎の美観を高めるために各刀工が意匠をこらした鑢目のことだそうです。新刀と新々刀に限られているそうです。鑢の始まる部分にのみ施されるそうです。香包鑢というのは、化粧鑢の一種だそうです。装飾性がとても高められているものだそです。鑢の始まりの部分のみに、香を包む袱紗の畳み目おような鑢目を複雑に組み合わせてあるそうです。化粧鑢と同じように、新刀以降の大阪の刀工に多く見られるそうです。銘というのは、茎に刻まれてあ作者の名前や製作年月日のことをいうそうです。銘というのは、平安時代末期から一般化したそうです。作者によってはタガネの太さや銘の形は異なっているそうです。字体だけではなくて、たがねを切る方向やタガネを打ち込んだ際のタガネ痕の盛り上がり方、銘の奥底に生じた錆なども、鑑定の要素とされているそうです。太刀銘というのは、刃を下にして腰に佩いた状態で外側となる佩き表に刻された銘のことだそうです。一般に作者の銘が表になっているそうです。年紀が裏に施されるそうですが、例外も多いそうです。刀銘というのは、刃を上にして腰に差した状態で外側となる差表に刻された銘のことだそうです。一般的に作者の銘が表に、年記が裏に施されるそうです。江戸時代の肥前忠吉のような例外も多いそうです。表銘というのは、刀や太刀を腰に装着した場合に、外側になる面が表になるそうです。太刀の場合は佩き表、刀の場合は差表というそうです。この表側に刻まれた銘を表銘と呼んでいるそうです。ほとんどが作者の銘が施されているそうです。裏銘というのは、太刀や刀を腰に装着した際に、カラダ側となる面が裏となるそうで、ここに刻された名のことをいうそうです。
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日本刀の鑢目の種類と解説について

12月 29, 2019 • admin
鑢目というのは、茎が柄から脱落し難くするためのものだそうです。茎の平地と鎬地に施されている滑り止めだそうです。古くは槌で打ち放したままだったそうですが、時代が下がるにつれて、意が注ぎ込まれるようになったそうです。鑢目の太さや向き、角度、玉を突くと呼ばれる鑢目上に施された微小の突起などというのは、刀工や流派、時代によって異なっているそうです。鑑定するときには欠かせないポイントだそうです。せんすきというのは、せんという鉋で、茎を整えたものだそうです。上古刀や槍に多いのだそうです。後世の、縦に粗目のせんをかけたものをせんすきと呼ぶこともあるそうです。切鑢というのは、鑢目が横向きにかけられたもので、横鑢ともいうそうです。磨き上げ刀の鑢仕立ては、直した部分のみを切鑢とするのが起きてだそうです。勝手下がり鑢というのは、鑢目がやや右下がりにかけられたものだそうです。勝手というのは右側のことをいうそうです。勝手上がり鑢というのは、鑢目が右上がりにかけられたものだそうです。左利きの刀工の鑢目には、このような傾向がみられるそうです。筋違鑢というのは、勝手下りの鑢目の傾斜が急なものだそうです。稀に勝手上がりの鑢目の傾斜が急なものがあるそうです。この場合を逆筋違というそうです。大筋違鑢というのは、筋違鑢の傾斜がより急なものだそうです。鷹羽鑢というのは、鑢目が鷹の羽に似ているところからの呼称だそうです。また、シダ科の植物に似ているというこで羊歯鑢ともいうそうです。大和物や美濃物などやその流れを汲む刀工に多いとされているそうです。檜垣鑢というのは、複数の条線が斜めに交差する檜垣状の模様となるそうです。大和物や美濃物、その流れを組む刀工に見られるそうです。
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日本刀の反りと鋒とふくらについて

10月 19, 2019 • admin
内反というのは、上古の時代にあった直刀や鎌倉時代の短刀にみられるという反りの形態だそうです。打刀とは逆に、刃先側に反っているそうです。筍反りというのは、短刀にみられるものだそうです。内反りの一種ということで、上身がわずかに刃方に傾いているため、極端に内反りが付いているように見えるそうです。内反りと同様に、研磨の結果そういうふうになるそうです。無反というのは、反りの少ない刀のことや、反りのない短刀のことをいうそうです。江戸時代の中期には寛文頃には突きを主とする剣術が隆盛したのだそです。それで、これに応じて反りの少ない刀が製作されたそうです。鎌倉時代には短刀の反りがないものが多いそうです。鋒は刀身の先端、横手筋より先の部分のことだそうです。中鋒というのは、尋常な大きさの鋒のことだそうです。通常見る刀というのは、この中鋒なのだそうです。大鋒というのは、中鋒よりも大型で長いものだそうです。小鋒というのは、中鋒よりも小型で短いものだそうです。猪首切先というのは、鎌倉時代中期の太刀の特色のひとつだそうです。身幅が広くて、元幅と先幅の差が少ないのですが、その割には鋒が詰まっているそうです。そのことからイノシシの首のように見えるということでこの呼び方になったそうです。堅い物を断ち切るのに適しているそうです。見た目もいかにも豪壮な感じだそうです。魳鋒というのは、ふくらが枯れて鋭い印象のあるものだそうです。魚のカマスの頭の形状から、この呼び方になったそうです。ふくらというのは、横手筋から鋒にかけての曲線状の刃先部分のことをいうそうです。ふくらの曲線部分が張って丸みを帯びているものだそうです。ふくら枯れるというものもあるそうです。
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日本刀の残存

8月 6, 2019 • admin

第二次世界対戦においては、日本刀のようなものは時として使われなかったとしても、最後の抵抗として日本刀を、と思っている人もいたというふうに聞いたことがありますし、外国人にとってみれば非常に危険なものであるということは変わりのないものであったのかもしれないですね。さて、一般的に言われている日本刀というのは、2尺以上もする大きく長い刀を差していることは確かに多いかもしれません。ですがそれだけではありません。比較的に小さく短い刀などもあるのです。長い刀と短い刀で一体何が違うのかという風に言えば、まずは使い方・持ち方が異なる傾向にあるようだという風に言えるでしょう。とりわけ大きな刀などの場合には、きちんと形なの重さを支えるだけの持ち方をしなければならないことが多いため、工夫をすることが求められているというふうに考えられるでしょう。小さい刀などもあるわけですが、基本的には、片方に刃がついているものを日本刀とするという定義から外れていないということは間違いなく言えるかもしれません。また、特定の地域によって刀の特徴も大きく異なっている点は、面白い部分であるという風に言えるでしょう。とりわけ刀をよく使っていた地域などでは独自の形や使用方法などが発達するという傾向にありこのような点について調査をした研究などもあるようですから、調べてみると良いかもしれません。伝統的な材料で作られた日本刀は手入れさえしていれば非常に切れ味が長く保つために、国で作られたものなどと比べても非常に品質が飛び抜けて良いと聞いたことがあるような気がします。それだけ優れていたということでしょう。

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刀身彫りの模様と樋について

7月 17, 2019 • admin

刀身彫りには、不動明王の変身である倶利伽羅王や不動明王が掘られたもの、素剣という不動明王の化身が掘られてものもあるそうです。また独鈷といって密教の宝具のひとつが彫られたりほう、剣の握り部が三叉の三鈷杵になっている三鈷柄剣、不動明王の化身のひとつである護摩箸、または梵字を彫ったものがあるそうです。這い進む龍を彫った這龍があるそうです。お不動様と呼ばれ、親しまれている不動明王は、密教の根本尊である大日如来が、憤怒の相を持って現れた化身といわれているそうです。火炎の光背を背負って、降魔の剣と羂索を持っています。剣は魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切るとい言われています。羂索は衆生救済の象徴といわれているそうです。刀身彫刻には所有者の守護と祈願を込められているそうです。刀身の鎬地に比較的深い溝を彫り込んだ樋というものがあるそうです。刀身に沿って太い溝を一本彫ったものを棒樋というそうです。棒樋の下に細い溝が一本添えられたものを添樋、あるいは連樋というそうです。

二本樋というものもあるそうです。樋は刀身彫りの一種だそうです。ただ装飾というのではなく、軽量化のために彫っているそうです。ただ、これを検証したものというのは、日本刀の書籍にあるわけではないそうです。軽量化といっても、ただ単に重量を軽減するためだけではないそうです。一般的に、軽量化というと、機械や器具の機能や強靭さというものをあまり減ずることなく保持したままで、使用材料を減らして重量とコストを下げることをいうそうです。そして、それらの軽量化と、機能向上というのは、一般的に相反するものであるともいえるかと思います。ただ、日本刀の場合は、樋を彫ることで性能を下げることなく軽量化に成功しているという研究者もいるそうです。

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日本刀の刀身を飾ることについて

6月 17, 2019 • admin

日本刀というのは武器としての役割はとっくの昔になくなったといえるかと思います。

日本刀を振り回して、という事件がありますが、許可もなく日本刀を持って回るのは違反ですし犯罪です。人を斬るなんてことはあってはならないと思います。なのでどれだけ丈夫か、強靭かというのを調べる必要もあまりないと思います。ただし、第二次世界大戦下で、陸軍受命刀匠が軍刀の切れ味などを調査する実験があったと伝えられているそうです。日本刀は美しいということを思う人達も多いかと思います。それは無駄のない究極の機能美という点に心惹かれるということもあるかと思います。刀身には機能美とは別に、刀身彫りというものがあるそうです。刀身彫りというのは、製作者や所持者の宗教観が表現されているそうです。自分の命を守る刀剣に不動明王などの神仏像や、梵字などを彫り込んで、宗教的な加護を求めるのはどこか真っ当な気もします。梵字というのは、密教で仏・菩薩などの象徴となる文字のことです。サンスクリット文字ともいいます。倶利伽羅というのは、龍が剣に巻きつき剣先を飲み込もうとしている図柄のことをいうそうです。

不動明王の変身体のことを倶利伽羅王というそうですが、倶利伽羅はその略称だそうです。

くりからもんもんというのは、倶利伽羅の模様という意味でもあるそうです。そして、この背中に彫られた入れ墨を倶利伽羅紋紋といいますが、この刀身の倶利伽羅の意匠が転じて、一般的な彫り物を表すようになったそうです。草の倶利伽羅と呼ばれるものもあるそうです。剣を飲み込む龍の図柄を簡略したものだそうです。真と草は、書道でいう真書(楷書)、行書、草書と同じ意味だそうです。刀身彫りというのは、真・行・草の倶利伽羅の図柄が多く見られるそうです。

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