剣聖宮本武蔵との対決「巌流島の決戦」で有名な巌流佐々木小次郎だが、彼の生涯については数多くの謎に包まれている。そもそも、彼の実在を疑う向きもある。世に伝わってきた凡その見解としては、戦国期末から江戸時代初めの剣豪だと見られている。出自も、越前国浄教寺村出身説、豊前国田川郡出身説がある。富田勢源に中条流を学んだ。10代になると諸国で武者修行し、16歳で秘剣「燕返し」を体得した。中条流では、主に一尺五寸ぐらいの小太刀を用いるが、長身だったといわれる佐々木小次郎は師匠勢源より三尺余りの大太刀を用いた修練を命ぜられた。佐々木小次郎の愛刀といえば、身の丈程もある長剣通称「物干し竿」といわれた備前長船長光である。この長剣を背負い、肩越しに抜刀し、下段からせり上がるように振り抜く。飛ぶ燕でさえその切先から逃れられなかったことから「燕返し」名付けられたといわれている。